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亡き父との再会

執筆者の写真: sakufudousakufudou

更新日:2023年12月22日

 平成二十年二月に父親が突然死んだ。心房細動により血栓が出来て、それによる脳梗塞が死因だったらしい。一人暮らしでの突然死なので、いわゆる「孤独死」だった。不幸中の幸いで、死んだ翌日に発見されたので見苦しい姿を晒すこともなかったが、六十七歳であっけなく死んだ。

 私は寺の生まれではなく魚屋の長男として生まれた。大学時代に恩師を師匠として出家得度をし、真言宗僧侶として生き始めた。魚屋だった父は、店を継がないことに反対も賛成もせずにいたが、「自分の人生なんだから、他人に迷惑をかけず責任をもって生きるのであれば、どんな仕事でも生き方でもいい。ただし、好きなことをして生きるというならば人一倍の苦労を覚悟しろ」とだけ言っていた。晩年、父は訳あって店をたたみ一人暮らしをするようになった。師匠が父を寺の不動堂の堂守として引き取ってくれて、寺男として五年ほど暮らしていた。元々、信仰熱心でもなく、むしろ「信仰など弱い人間がするものだ」くらいの事を言っていた父であったが、お詣りの方々の熱心な祈りの姿に接するうちに徐々に不動尊をはじめ神仏に手を合わせる気持ちが深まったようであった。そしてその不動堂で急逝したのである。

 漁師町である千葉県銚子市で生まれ育ち、中卒で築地魚河岸に勤め、その後に行商から魚屋を始めた父は、優しい一面もあったが酒飲みで短期で気分屋でもあった。小さい時から両親の夫婦喧嘩を見て育ち、「父のようにはならない」と思っていたが、残念なことに端から見ると私も父によく似ているらしい。師匠の寺の手伝いに行った時などの夜に二人で酒を飲むこともあったが、お互い遠慮せずに言いたいことを言ってはよく口論となった。これも似ているが故であろうか。死ぬ一月半前にも恥ずかしいことだが喧嘩をしてしまっていた。まさか別れが目の前に迫っているとも知らず。

 死ぬ半年ほど前から不整脈の症状が出て医者に通っていたが、薬を貰いながら普通に過ごしていた。「親父が七十五歳くらいになったらガタが出始めるだろうから世話をする準備をしなきゃ」くらいに考えていたが、それは自分勝手な憶測でしかなかった。「いつか親父の最後を看取るときが来るのだろう」ともなんとなく思っていたが、いきなり目の前に父との死別が現れた。僧侶として多くの方の死別の悲嘆に寄り添い、私なりに真剣に勤めてきたつもりであったが、自分の悲嘆の大きさには自分でも驚く程だった。父の死が率直にショックであった。あんなに喧嘩をしたのにもう二度と一緒に酒を飲めない淋しさと、父の体調の悪化に気づけなかった悔しさと、一人前面をして父に意見をしていた自分の愚かさと、死別を受け止めきれない不甲斐なさなどが入り混ぜになって何とも居たたまれない気持ちであった。葬儀後も酒を飲むたび涙が勝手に出てくる事がしばらく続いた。始めて本当に大切な人に「死なれた」者の気持ちが解った。皮肉なことだが、僧侶である私が、魚屋だった親父から最後に「死」を教えられてしまったのである。

 四十九日を過ぎた頃であったか、夢に父が出てきた。子供の頃住んでいた町の見慣れた風景。周りには誰も居ない。魚屋の格好をした親父が向こうから歩いてくる。「オーイ、親父」と私が呼ぶと、父は「オウ」と返す。そして握手をした。その手は暖かく、その厚みはまさしく父のものだった。握った感触は今も私の手に残っている。私は父がこの世の存在ではないことを解っているのだが、思わず「元気か?」と訊いてしまった。そして「どうだい、そっちは?」とあの世での暮らしぶりを尋ねた。すると父は「ウーン、まあな」とだけ答えた。その答えた口調や表情から、あの世は苦しくも辛くもないが、この世とは違う世界なのであまり詳しく話せないように感じた。私が「まあ、いいや。変わりがなさそうで良かったよ」と言うと、父は「だけどよ、死んだ人間に元気かって訊くのも可笑しいだろ」と返した。私は「そりゃそうだ」と言って笑った。父も笑っていた。そこで目が覚めた。

 この夢を見てから何か感じるところがあり、気持ちが少し落ち着いたようであった。この夢の中身は私の深層心理が現れたものであろうし、経典に説かれている教えに添うものでもないが、私にとっては死者の行方とあの世との接点について妙に納得できるものであった。即ち、あの世とこの世は隔絶した完全な別世界ではなく、次元が違うものの二重写し・三重写しのような多層的な関係であり、物質的な次元に生きるこの世の我々からはあの世は見えないが、向こう側からは結構見えているらしい。また、精神的な部分はラジオの電波などのように周波数を合わせれば交流は可能な世界。そういう世界に先に逝った者達が居ると私は感じたのである。そして、我々もいずれは行く世界でもある。そこではまた、父をはじめ先に亡くなった祖父母・師匠・恩師・友達と会えるだろう。その時に胸を張って会えるよう、今を精一杯生きて行きたい。そのように夢を通して思えたのである。

 紫の衣を着られる様になった今でも私は「魚屋の親父」には敵わないと思うし、いまだに教わっているような気がしている。自分の中に父は生きているのだろう。



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門松

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