去る12月12日は興教大師覚鑁上人のご命日でした。覚鑁上人は平安時代後期の真言宗のお坊様で肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)のお生まれです。京都仁和寺の寛助大僧正の弟子となり密教の修行を積み、南都で仏教の基礎教学を学び、当時衰退していた高野山を復興しました。「真言宗中興の祖」とも仰がれますが、晩年は紀州根来寺に拠点を移し教学振興に勤め、後に新義真言といわれる伝統の基礎を作りました。現在、真言宗各派内では我々の所属する豊山派と、智山派、新義真言宗の三派においては弘法大師に次いで大切な御祖師様です。ご生誕の地には大本山誕生院が在ります。
新義真言のお寺では御逮夜の11日の夜に報恩講として寿量品会や論議法要をしたり、陀羅尼会として仏頂尊勝陀羅尼を不断に唱える法会を営みます。覚盛寺でも住職独りですが逮夜に法華経寿量品と尊勝陀羅尼・密厳院懺悔文を唱え、12日当日には理趣経を唱え覚鑁上人を偲びました。
因みに、日本における大師号は諡号といい徳の高い僧侶に対して天皇から授けられるものです。佐賀県出身で大諡号を頂いてるお坊さんは覚鑁上人だけです。特に佐賀の方には知っていて頂きたいですね。
Comentarios